朝日新聞掲載

先日の宝蔵院流奉納演武が平成29年8月26日付の朝日新聞に大きく掲載されましたのでご紹介します。
土佐に再び 鎌槍の技
奈良発祥で約460年続き、人気時代劇漫画「バカボンド」にも登場する「宝蔵院流槍術」の門下生らが、高知市洞ケ島町の薫的神社で24日、演武を奉納した。創始者の高弟の槍術家、馬詰親貞の墓が神社の裏山にあることが縁で実現。親貞の子孫も駆けつけた。
漫画「バカボンド」に登場「宝蔵院流」
薫的神社で奉納 名人の子孫「血騒ぐ」
バカボンドは、「スラムダンク」の作者、井上雄彦さんが吉川英治の小説「宮本武蔵」をもとに描いた作品。武蔵と宝蔵院流の使い手が死闘を演じる。
第21世宗家の一箭順三さん(68)によると、宝蔵院流は興福寺の子院の住職だった胤栄が始めた古武道で、穂先が十文字の「鎌槍」を使いこなす点が特徴。
奈良市から高知市に昨春転勤した門下生の一人が土佐と宝蔵院流のゆかりを調べ、馬詰親貞の存在に行きついた。親貞は胤栄や2代目胤舜に槍を教わり、初代土佐藩主の山内一豊に召し抱えられながら宝蔵院流を広めたとされる。
親貞の事を知った一箭さんが「宝蔵院流の息吹を再び土佐によみがえらせたい」と高知での合宿を計画。一箭さんや門下生ら5人が23日に薫的神社で稽古をした。24日は親貞の墓参りの後、神社境内で演武を奉納。攻防の「型」を21種類にわたって披露した。相手が突いてくる槍を十文字の穂先で引っかけて落とす「巻き落とし」などの技を見せ「ヤア」「エイ」と気合を響かせた。
演武には親貞の子孫で高知市のタクシー運転手、直紀さん(73)が招かれた。初めて宝蔵院流の技を見たという直紀さんは「血が騒ぎ、僕ももう少し若けりゃやってみたかった。これをきっかけに、宝蔵院流が土佐でも広まれば親貞も喜ぶと思う」。一箭さんは「ゆかり深い場所で演武ができ、有り難かった。土佐に槍の名人がいた歴史を多くの方に知ってほしい」と話していた。
馬詰権右衛門親貞師 顕彰 宝蔵院流槍術 奉納演武会
平成29年8月24日
馬詰権右衛門親貞師 顕彰
宝蔵院流槍術 奉納演武会が行われました。

宝蔵院流槍術は、約460年前に興福寺の子院である宝蔵院住職「胤栄(いんえい1521~1607)」
が創始した柳生神陰流剣術と並ぶ奈良が発祥の古武道。
宝蔵院流の槍は通常の素槍に対し鎌槍と称する十文字形の穂先に特徴があり、
この鎌槍は攻防に優れ、画期的な武器として、
「突けば槍、薙げば薙刀、引けば鎌 とにもかくにも外れあらまし」との歌が伝えられ、
江戸時代を通して全国を風靡し、日本を代表する最大の槍術流派として発展した。
この流祖・胤栄、2代胤舜師のもとで修行し高弟として仕え、後に土佐の地に宝蔵院流槍術を
もたらしたのた馬詰家の初代 馬詰権右衛門親貞師である。
馬詰師の墓は薫的神社の裏山にあることから、馬詰観音を顕彰し奉納演武が行われた。

奉納演武の様子。

奉納演武には、数社の報道陣も見えた。


当社裏山にある、馬詰親貞師の墓。
今も子孫により清浄に保たれている。
馬詰権右衛門親貞師 顕彰
宝蔵院流槍術 奉納演武会が行われました。

宝蔵院流槍術は、約460年前に興福寺の子院である宝蔵院住職「胤栄(いんえい1521~1607)」
が創始した柳生神陰流剣術と並ぶ奈良が発祥の古武道。
宝蔵院流の槍は通常の素槍に対し鎌槍と称する十文字形の穂先に特徴があり、
この鎌槍は攻防に優れ、画期的な武器として、
「突けば槍、薙げば薙刀、引けば鎌 とにもかくにも外れあらまし」との歌が伝えられ、
江戸時代を通して全国を風靡し、日本を代表する最大の槍術流派として発展した。
この流祖・胤栄、2代胤舜師のもとで修行し高弟として仕え、後に土佐の地に宝蔵院流槍術を
もたらしたのた馬詰家の初代 馬詰権右衛門親貞師である。
馬詰師の墓は薫的神社の裏山にあることから、馬詰観音を顕彰し奉納演武が行われた。

奉納演武の様子。

奉納演武には、数社の報道陣も見えた。


当社裏山にある、馬詰親貞師の墓。
今も子孫により清浄に保たれている。