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神明宮 舗装工事完成

平成29年12月2日
小津神社の御旅所であるはりまや町鎮座、神明宮の舗装工事が完成しました。

IMG_2449.jpg

白い参道。

IMG_2450.jpg

由緒書きの看板も設置されています。

記載されている内容は以下の通りです。

小津神社お旅所  神明宮
ご祭神:天照大神 豊受大神
祭礼日:夏祭七月十二日 秋祭十一月十二日 
沿 革
寛永八年(一六三一年)高知城築城大工頭、加藤六兵衛(一二〇石)により勧請される。以来三十八年間祭典行われず。
寛文九年(一六六九年)より祭典執行。
享保十六年(一七三二年)社殿炎上。
享保十九年(一七三五年)公権力により宮作。仮殿建立。
寛延元年(一七四九年)本殿舞殿拝殿再興。
祭礼には北町御神幸を仰せつけられる。
天保九年(一八三八年)旧城東城西の各町神輿御神幸を許される。
昭和二十年(一九四五年)戦災により全焼。
昭和二十五年(一九五〇年)仮殿建立。
昭和五十四年(一九七九年)社殿改築竣工。

現在の高知城下の神様と言えば、高知大神宮(明治十二年創建)や高知八幡宮(明治三年に高知城内から現在地に移転)とされますが、当社神明宮は、江戸時代までは高知城下の総鎮守として人々から崇敬されていました。
江戸時代、神明宮の祭礼には、多くの露店も出ていたとされ、現在八幡通りと称される高知八幡宮から電車通りに向けて南に延びる道は、「神明通り」と云われ城下の人々の信仰を集める中心的な神社であった。
郷土史研究家である広谷喜十郎氏の著書、『土佐史の神々』には、【元禄十三年(一七〇〇年)比島の神明宮の祭礼には城下の町中から車に屋台を仕掛け、その上で踊りをする「だんじり」が出て前代未聞のにぎわいをみせ、その折には、城下の山田橋から郊外の比島まで隙間なく桟敷を設けたほど人々が集まったという。それに、石立八幡宮、潮江天満宮、若一王子宮、小津神社、郡頭神社などの祭礼でも同じような展開をみせるようになった】と記載されている。
神明宮の東、山田橋のわたり口付近には関所があり、そこから比島までの通りは、人々の往来の盛んな所であった。城下の入口に当たる場所に鎮座する神明宮は、多くの信仰を集める神社であったと考えられる。
隣に鎮座する子守神社は、水の神様を祀っている。江戸時代この地付近には水路が多く、北には江ノ口川がある為、その水を抑える為に祀られた。また、水の神は「み配り」「み籠り」から転じて、子授け、安産、子守りの神様として信仰されている。
平成二十九年四月吉祥日                   
小津神社社務所
                                ℡八七三―六六〇二

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